生きている者は死ぬべき事を知っている。しかし死者は何事をも知らない、また、もはや報いを受けることもない。その記憶に残る事がらさえも、ついに忘れられる。
死んだ者はまた生きない。 亡霊は生き返らない。 それで、あなたは彼らを罰して滅ぼし、 彼らの思い出をことごとく消し去られた。
前の者のことは覚えられることがない、 また、きたるべき後の者のことも、 後に起る者はこれを覚えることがない。
死においては、あなたを覚えるものはなく、 陰府においては、だれがあなたを ほめたたえることができましょうか。
そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、
彼の子らは尊くなっても、彼はそれを知らない、 卑しくなっても、それを悟らない。
そもそも、知者も愚者も同様に長く覚えられるものではない。きたるべき日には皆忘れられてしまうのである。知者が愚者と同じように死ぬのは、どうしたことであろう。
それらを常に主のみ前に置き、 彼の記憶を地から断ってください。
またわたしは悪人の葬られるのを見た。彼らはいつも聖所に出入りし、それを行ったその町でほめられた。これもまた空である。
たといアブラハムがわれわれを知らず、 イスラエルがわれわれを認めなくても、 あなたはわれわれの父です。 主よ、あなたはわれわれの父、 いにしえからあなたの名は われわれのあがない主です。
悲しみの家にはいるのは、 宴会の家にはいるのにまさる。 死はすべての人の終りだからである。 生きている者は、これを心にとめる。
わたしは知っている、あなたはわたしを死に帰らせ、 すべての生き物の集まる家に帰らせられることを。
すべて生ける者に連なる者には望みがある。生ける犬は、死せるししにまさるからである。
すべてあなたの手のなしうる事は、力をつくしてなせ。あなたの行く陰府には、わざも、計略も、知識も、知恵もないからである。
わたしたちはみな死ななければなりません。地にこぼれた水の再び集めることのできないのと同じです。しかし神は、追放された者が捨てられないように、てだてを設ける人の命を取ることはなさいません。
しかし主よ、わたしはあなたに呼ばわります。 あしたに、わが祈をあなたのみ前にささげます。
のちに、その女も死にました。